歴史・縁起

縁起

文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き、全長坊と称す。大永六年(1526)全長示寂を前に禅門に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世頤正全養(いしょうぜんよう)に請うて全長坊を託す。慶弔二年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久澤山全長寺と改め、当寺の開山となる。

樹齢400年以上
全長寺の老杉
安永六年(1777)池原、国安、文室、東野、今市五ヶ村より現在の境内地の寄進を受けた。十世泰蟠童龍禅師は十五ヵ年の歳月を費やし、この地を開いて七堂伽藍を建立し、寛永二年(1626)この地に移り中興の祖となる。門前の杉の老木は当時のものである。以来法灯連綿として今日に至っている。

またこの付近は賎ケ岳合戦の古戦場で寺をとりまく四囲の山々には今も陣地跡が残っている。中でも北方林谷の砦跡はは柴田勝家の身代わりとなった毛受(めんじょう)勝助と兄・茂左衛門兄弟が、数千に及ぶ秀吉軍と壮烈な戦いを繰り返し全員討死した所である。山麓の毛受の森には兄弟の墓がある。

全長寺は古くより毛受兄弟の菩提寺として、また賎ヶ岳合戦に武運拙く此の地に果てし多くの無名戦士たちの霊の供養を続け今日に至っている。
年中行事の中では四月八日の開山忌、八月八日の山門大施食法要、九月一日の羅漢供養などが大行事である。